もう何年そのまんまだったろうか?
引き出しに詰まった文具。
勿体無いから、としまったまんま。
10年以上そこに詰まっていたモノすらある。
詰まりきって、引き出しがうまく開かない、必要なものが見つからない。
さっき20%程度に減らしたけれど、もっと要らない気がする。
最近買ったカッター以外いらないかも。
ワタシはそんなに何に執着しているのか。
思い切って処分してしまおう。
毎日ひと粒 小さな光に気づくブログ
もう何年そのまんまだったろうか?
引き出しに詰まった文具。
勿体無いから、としまったまんま。
10年以上そこに詰まっていたモノすらある。
詰まりきって、引き出しがうまく開かない、必要なものが見つからない。
さっき20%程度に減らしたけれど、もっと要らない気がする。
最近買ったカッター以外いらないかも。
ワタシはそんなに何に執着しているのか。
思い切って処分してしまおう。
昨日玄関をスッキリさせた。
すると、今朝。
夫が仕事場から持って帰ってきて、何ヶ月もそのままだったシューズを会社に持って行くという。
今まで見える位置に出してあったのに、風景に溶け込んでしまい見えていなかったようだ。
下駄箱の中にしまったのに、急に見えたようだ。
靴は履いてナンボ。
活躍の機会がまた巡ってきてシューズもうれしいだろう。
玄関の気の流れが流れ出した。
『気』の入口の玄関。
キレイにしておくと良い運が舞い込んでくるそう
今年1月に自分の靴はあらかた減らしたが、家族の靴が下駄箱からはみ出していた。
人のものは勝手に処分する訳にいかないので、下駄箱の中におさめた。
傘もビニール傘が増えていたので、2本を物置へ。
傘立ても玄関扉付近から、少し離れたところに移動した。
傘は毎日使うモノでもないので、それでもいいのではないだろうか。
ついでにお掃除シートで拭き掃除もした。
コロナの影響で、めっきり旅行をしなくなった。
なのにクローゼットには4つも大きなスーツケースがあった。
またいつか使うかも。と。
思い切って全てリサイクルショップに持っていった。
窮屈に詰まっていたクローゼットに空間が生まれた。
『スーツケースは絶対取っておくモノ』
そんな概念もいっしょに断捨離した。
海外に行く機会ができたらその時に何とかすれば良いだろう。
今日は開かずの桐箪笥を断捨離。
平成30年につめたまんま、開けることはなかった。
その頃にも一度着物の断捨離をした。
ほぼ着ていないもの、仕付け糸のついたままのものなど、ポテンシャルが活かせなかった着物たちだった。
その生き残りで、浴衣やポリエステルの着物など家で手入れができるものたち。
でも、活躍の機会がなかった。
着物を所有したり、着物で出かけたりすることで、自分の自信のなさを埋め合わせようとしていたのかもしれない。
『普段着で毎日着るような生活』
そんな余裕があり優雅な生活に憧れていた。
自分を全くわかっていなかった。
ところで、
『着物』というのは厄介なもので
買う時はとても高価だが、売る時はほぼ値段がつかない。
『高価買取します』など宣伝をよく耳にするけども、購入価格が何百万もするようなものだったらの話。
庶民レベルでは、関係がない。
つまり、
ほぼタダで引き取ってもらえるかどうか。
訪問着や帯など少しイイモノがないと、訪問買取では引き取ってもらえない。
ポリエステルの着物なんて絶望的だ。
そこで、取り敢えず値段は付かずとも引き取ってもらえるような店に持っていくことにした。
自分の場合、着物は所有する必要がないとわかった。
よっぽど着たければ、レンタルすれば済むことだ。
空っぽになった引き出しを見て、また無駄なものから1つ解放されて清々しくなった。
2022年1月から断捨離を始めた。
まずはキッチンから。
食器棚のぎっしり詰まった食器
→ 90%を捨てた
10%を残して10%新品を足した
こんなに処分してしまって大丈夫なのかと思ったが、現在も特に不便は感じていない。
《効果》
食器棚は見える分だけ収納できた。
スカスカなので何がどこにあるのかすぐわかる。
さらに、取り出しやすい。
《ルール》
1.色は白を基調としたもの
2.シンプルなデザイン(重ねられるモノ)
3.全て3組ずつ
4.これから先、1種類買ったら1種類処分
《周辺効果》
食器の管理がしやすくなったので、料理がしやすくなった。
ついでに食器の水きり棚の代わりに、水切りマットを使っていたがそちらも処分。
キッチンペーパーの上に洗い出し、すぐに拭いてしまうことにした。
置きっぱなしで放置する時間も断捨離できた。
人の顔色を伺いながら、
相手が望むことをしようと
ひたすら無駄な努力をしてきた。
『何で上手くいかないのだろう』と
悩んでばかりいた。
今現在、過去にしてきた事は自分では意味がわからないが、
何がしか必要な経験であったと思うしかない。
全て否定してしまったら、自己否定になる。
何か壮大な流れの微細な一部だと思っておこう。
部分即全体、全体即部分。
取り敢えず必然であったと。
モノを減らしながら、自分の生活に詰まっているガラクタを一緒に減らしている。
焦らないこと。
今は目の前のひとつを整えていこう。
モノの詰まり、空間の詰まり、身体の詰まり、
全て流れを取り戻したとき
人生の流れが戻ってくる。
きっと。
気がつくとカバンの中がレシートやらなんやらで
ごちゃついていたりする。
毎日の手入れが必要。
家計簿を丹念につけるほどの几帳面さはないので
自分の場合はレシートはすぐ捨てるようにしている。
でも、帰宅してそのまんまにしてあり、翌朝取り敢えずどこかにおいて出かけるなんてこともしばしば。
帰宅したら、すぐにカバンの断捨離をしよう。
喜んで手放し捨てること。
執着でへばりついていると出来ない。
身体にも現れるのではないかと思う。
頑丈に凝り固まった肩、食欲でたるみ切ったお腹の肉、
みんな執着の結果のような気がする。
空間も体も心も流れを取り戻したとき、本来の自分の生き方が出来るように思う。
『人』の『為』と書いて
『偽』ニセ。
自分の為にもなっていないとウソになる。